2020年春、赤の他人から「死ねばいいのに」という何気ない言葉で人生の激変が無声に始まりました。後の2年間は嘘みたいに予想できぬことが連鎖に身の回りに一個づつ起こりました。「もしかして、これはいわゆる『人生のどん底』かな」と戦々恐々に日々を迎えた時期もありました。
どん底に落ちたら、人間の本能は一緒懸命に這い上がるのでしょう。私も例外ではありませんでした。一生懸命に這い上がって、落ちて、さらに這い上がろうとしました。今振り返ってみたら、まるでシシフォスみたいにどう頑張っても徒労に終わったことばかりでした。
ある日突然ある声がすっと頭に入りました。「あなたは一体何と戦っているの?」と誰かに問いかけられました。心が一瞬ハッとして、物事が自分の思う通りにならないといけないという思いから生まれた私の傲慢さや無知についに気付きました。さらに気づいたのは、いつの間にか、周りの環境や社会が設置したスケジュールに即して人生を歩んできて、できるだけ多数人のリズムと歩み合わせて、前例に照らして「正しい」タイミングで「正しい」ことをするのが当たり前だと思い込んでいた自分がいたことです。
ただ、自分にとって幸せが一体どのようなものでしょうか。私はこの命をどのようにしたいのでしょうか。これら本質な問いは、一体いつの頃から私が忘れたのでしょうか。「human」のみとして生きてきて、「being」という部分が全く生きられなかったことはいかに愚かなことかわかりました。しかし、人間が生き物である以上、理屈だけで納得して生きられるものではなく、多様なエモーションとの付き合いが不可避です。そこで、俯瞰的な視点を得るまで、いばらが前途を覆う長い旅を経験しました。
幸いなのは、他人の何気のない一言でも崩れかねないような弱い時期に、世界から善意をいっぱい頂いたました。特に印象深かったのは、偶々ご縁を持った中国人先生は電話を掛かってきて、フランスで留学された際に研究資金の中断により1年ぐらい重度うつ病に罹ったという話をくださることでした。こんなに名高な先生方でも不順な暗い時期があったことは全く想像できなくて驚きました。乗り越えた経験を伺い、さらに敬意が心から湧いてきて、勇気をもらいました。一面識もないにも関わらず、、「当時はなぜこのことが私の身に起こったのだろうと何度問い詰めても答えがなかったが、今あなたのような学生を見てその意義がやっとわかったかもしれません」という温かいお言葉までもいただきました。
先生のおかげで、辛い経験でも神様からもらった贈り物だと思えるようになりました。恐らくこういう経験があったこそ、未来私が他人に対して優位な立場に立つ時、本当の意味で深く相手と共感できるようになり、謹慎な言動も自然に取れて、相手が必要なサポートを提供できるのでしょう。逆に、もしそういう経験がないなら、私が傲慢かつ無知のままでこの世界に生き続けて、気づかないうちに自分のエゴに支配され、つい他人を傷つけてしまうかもしれません。
もし皆さんはタイムマシンで2020年の私と出会ったら、このようなメッセージを彼女に伝えてください。「どん底に落ちたら、しっかり落ちてください。落ちたら、落ち着くなります。そしたら、とても綺麗な景色が見えてきます。」
ありがとうございます。
藏晖閣にて
令和4年5月19日
在〈“🌺 置かれた場所で咲きなさい 🌺”〉中有 2 則留言
Keep up the good work.
Cheers